
島原半島ジオパークは日本の西端、九州の長崎県南部に位置しています。島原半島は3市(島原市、雲仙市、南島原市)の行政区域で構成されており、周りは海に囲まれ、中心には雲仙火山がそびえています。
島原半島の北西部は雲仙山系とそれに連なる穏やかな丘陵地帯、及び海岸沿いに広がる平野部からなります。東部は雲仙火山のすそ野が海に伸びた傾斜地、南部はゆるやかな地形となっています。
島原半島ジオパークは「人と火山の共生」がテーマです。雲仙火山の噴火が引き起こしたたび重なる災害とそこからの復興、火山がつくりだす恵みや様々な地形と人との関わりを楽しみながら学ぶことができます。
島原半島では雲仙火山などの火山が成長する中でつくりだした地形や、千々石断層を始めとしたダイナミックな断層地形を見ることができます。また、火山がもたらす恵みと災害の上で暮らしてきた人々がつくりだした文化や歴史も見所です。
島原半島をつくりだした最初の噴火が起きた場所です。半島がどのようにして生まれたのか、海岸沿いの地層から読み取ることができます。半島最南端は温暖な気候のため、樹齢400年近いアコウの巨木があります。
かつて島原半島で起きた「島原・天草一揆」の最終激戦地となった場所です。原城跡がある場所は周りの地形と比べて小高い丘となっています。これは約9万年前の阿蘇山の噴火に伴う火砕流が堆積しているためです。ジオと歴史上の事件が深く関わっているジオサイトです。
海につき出た火山扇状地の末端に露出する地層は、雲仙火山の最初期のものです。天然の岬となっているこの場所には琴平(ことひら)神社が建てられており、昔から海運交通の安全を見守っています。
寛政4(1792)年、地震をきっかけに眉山と呼ばれる山が崩壊、大量の土砂が海に流れ込みました。この山崩れと、発生した大津波により、半島東部と対岸の肥後(熊本)で約1万5千人もの人が犠牲になりました。「島原大変肥後迷惑」として語り継がれています。
眉山の崩壊でできたくぼ地に、井戸から噴き出た水がたまってできた湖です。湖ができた際、当時の主要な道やお寺、家屋などが水没してしまいました。現在、白土湖とその周辺に湧く水は、地元住民にとって欠かすことのできない貴重な生活用水となっています。
島原半島には東西に走る地面の亀裂(=断層)が存在します。その中でも最も大きいのが千々石断層で、その全長は少なくとも14kmにも及びます。千々石断層をはじめとした断層に囲まれた島原半島の中央部は今も年間約1~2mmほど沈み続けています。
島原半島の中央に位置する雲仙温泉に、"地獄"と呼ばれる場所があります。高温の噴気や熱水が噴き出し、硫化水素の独特な匂いが漂うここは、かつてキリシタン殉教の舞台となった場所でもあります。そのため、地獄には仏教に基づいた名称の他、殉教したキリシタンの名前が付けられています。
仁田峠第二展望所では、崩壊によって生じた妙見岳カルデラと、その中に成長した複数の溶岩ドームが間近に見えます。平成新山はその中でも最新の溶岩ドームです。展望所の東側眼下には、平成噴火で生じた火砕流・土石流の被災地域や導流堤が一望できます。
普賢岳の平成噴火では土石流が繰り返し発生し、多くの民家や田畑を埋めました。土石流被災家屋保存公園はその際に埋没した家屋11棟を保存、当時の災害の様子を感じることができます。公園内では、噴火時の土石流堆積物も観察できます。
平成の普賢岳噴火により樹木が焼け、荒れ果てた土地となってしまった場所につくられた森林公園で、災害後、植生がどのように回復していくのかを観察しています。隣接する平成新山ネイチャーセンターでは、ジオツアーや工作教室など、ジオパークにまつわる様々なイベントを開催しています。
ジオパーク名:島原半島ジオパーク
ジオパーク名(英語表記):Unzen Volcanic Area UNESCO Global Geopark
団体名:島原半島ジオパーク協議会
構成自治体名:長崎県島原市、雲仙市、南島原市(3市)
■島原半島ジオパーク協議会事務局
〒855-0879 長崎県島原市平成町1-1 がまだすドーム内
TEL 0957-65-5540 FAX 0957-65-5542
■E-mail
■ウェブサイト 島原半島ジオパーク