本州最北に位置する下北ジオパークは、海に面した人々の生活と自然、大地を総合的に体感できるよう、『海と生きる「まさかり」の大地 ~本州最北の地に守り継がれる文化と信仰~』をテーマとしています。
恐山や仏ヶ浦、大間崎、尻屋崎などのジオサイトでは、地形・地質に依らず生物・生態系や歴史・文化・産業なども紹介しています。
日本列島の大地は、長い時間をかけて積もり重なった4つの要素で構成されており、下北にはそのすべてが集結しています。この多様な地質が、態系や人々の暮らしの多様さに色濃く影響を与えています。
また、3つの海に囲まれて、波の侵食や寒冷地特有の降雪、結氷によって削られた岩の造形は、信仰や伝説を生み出しました。
約2万年前、北海道には陸続きだった大陸から多くの動物が渡ってきたのに対し、島だった本州の動物は独自の分化を遂げました。本州最北端の下北を分布の北限とする動物が多いのは、 深い津軽海峡が本州と北海道を隔てた結果です。
また、日本海と太平洋を結ぶ津軽海峡には暖流と寒流が流れ込み、多様な生物相が育まれています。
主幹産業である漁業や観光業はもちろん、北前船や海軍の歴史・文化的背景から、全国屈指の魚介類消費量を誇る日常生活に至るまで、人々の暮らしには海が息づいています。
一方、農地や学校などに活用される段丘地形、人々の信仰を集める霊場「恐山」など、海と生きる人々の暮らしは多様な大地によっても支えられています。
下北地域最大の観光地にして、住民の信仰の場として崇められる恐山。第四紀の火山活動で誕生した周囲の山々がこの世とあの世とを隔てる役割を果たすとともに、カルデラ壁として凹地特有の環境を築きあげた。カルデラ内では現在も噴気活動が続き、地球の営みを感じられる空間であるとともに、噴気により酸化された湖が、独特の生態系を生んでいる。このジオサイトでは、地球が今もなお盛んに活動していることを感じられる。
下北地域・西海岸の中央部に位置する国の名勝、天然記念物。高さ100m近い岩体が日本海の拡大期に起こった海底火山の規模を物語っています。積もった白緑色の岩石と、長年の風雨と波によって仏像のように削られた岩々は、鬼か、神でなければ創ることができないとまで言われる彫刻であり、仏ヶ浦独特の霊験あらたかな空間を形づくっています。
本州最北端の地、大間。一本釣りで有名なマグロのみならず、イカやウニ、タコ、コンブなど、多種多様な水産資源に恵まれた漁師町です。これらの豊かな魚介類は、津軽海峡に流れ込む2つの海流に支えられています。 海を眺めるだけで会える唯一の海洋生物、海鳥。弁天島のカモメが、人間もまた、海の生態系の一員として大間の大地に息づいていることを教えてくれるジオサイトです。
はるか昔、太平洋海底に積もった地層が海洋プレートで運ばれてきた「付加体」を観察する絶好のポイント。そそり立つ岩壁が人々の進入を阻んできたことから生まれた地名の由来のほか、東北最古の歴史を持つ尻屋埼灯台や岬周辺で放牧される寒立馬の歴史を知ることもできます。太平洋に突き出た本州最涯(さいはて)の大地が、いかに資源に恵まれているかを体感できるジオサイトです。
火山フロントの本州最北部に位置する燧岳(ひうちだけ)の麓、風間浦村。国道沿いの海岸部は、背後に火山砕屑物からなる崖が迫り、猫の額ほどの平地に民家がひしめき合っています。ところが一歩内陸に踏み入れると、農地や学校に活用される海成段丘の平坦地が広がっています。また、海岸部の急峻な斜面は海底深くまで続き、すぐ沖には高級魚キアンコウの漁場を形成しています。海底から高台まで、海岸線に営まれる村民の豊かな暮らしを感じるジオサイトです。
天然の良港として明治以降に脚光を浴びた大湊・芦崎。縄文時代(約4300年前)に出来たとされる海岸と平行に伸びる砂嘴(さし)は、どのように形成されたのでしょう。これだけの陸地を作り上げるのに必要な土砂は一体どこからやってきたのか、そして芦崎が大湊にもたらした文化と繁栄を体感できるジオサイトです。
津軽海峡に面したむつ市と風間浦村との境界付近に位置する「ちぢり浜」。ちぢりの名前の由来とされる伝説のほか、昭和初期の遺構「幻の大間鉄道」跡やかつての港湾を取り壊したことで再生した自然を 体感できる場所です。また、この地の岩石がどう堆積したのか、そしてそれがどう削り取られたのか、削られた環境が海洋生物に与える影響から、人と自然の関わり方を考えられるジオサイトでもあります。
陸奥湾に注ぐ川内川の上流部、親不知(おやしらず)渓谷の急流と断崖絶壁は、古くから人々の往来を阻んできたため、それより上流に広がる野平高原は長らく未開の地であり、本格的に開拓されたのは戦後のことでした。高原野菜生産や畜産が軌道に乗った野平集落も、川内川の治水や農業の衰退に翻弄されることになります。付加体でできた険しい渓谷と、肥沃なカルデラの大地に刻まれた、壮絶な歴史をたどるジオサイトです。
川内の安部城鉱山は、かつて大正から昭和にかけて日本三大銅山の一つでした。ピーク時の大正6年(1917)には鉱山関係者3200余人が在山したといわれ、同年川内村が人口12000余人を持って町制を施行しました。 一方、深刻な鉱害も発生し、精練開始と共に周辺の山々は一面はげ山になりました。 関係者の並々ならない努力によって緑の山に回復し、閉山後は煙突や煙道の一部などの遺構が残された鉱山跡に遊歩道を整備し、鉱山の歴史や環境などの教育に役立てられています。
下北では、江戸時代に北前船による各地との交易が盛んに行われていました。下北から京都などに出荷された昆布やスルメ、棒鱈などの乾物は京料理や出汁文化の発展を支える一翼を担い、下北には京都の様々な文化が持ち込まれました。ヒバ材の積み出し湊として特に栄えた佐井村には漁村歌舞伎が伝わり、「福浦の歌舞伎」は青森県の無形民俗文化財に指定されています。
ジオパーク名:下北ジオパーク
ジオパーク名(英語表記):Shimokita Geopark
団体名:下北ジオパーク推進協議会
構成自治体名:青森県むつ市、大間町、東通村、風間浦村、佐井村
■下北ジオパーク推進協議会事務局
〒035-8686 青森県むつ市中央一丁目8番1号 むつ市企画政策部ジオパーク推進課
TEL 0175-22-1111(2811~2815) FAX 0175-23-4108