三笠市は、北海道のほぼ中央部、石狩平野の東端に位置しています。この地は明治元(1868)年、幌内地区と呼ばれる場所で大地の遺産である「石炭」が発見されたことを契機に開拓された場所です。そのため、まちの形成そのものが、「ジオ」と密接に関わってきた土地であることから、三笠市全体がジオパークとして指定されています。
札幌市、旭川市などの主要都市や新千歳空港から約1時間圏内に位置する自然豊かな場所です。
アンモナイトが海を泳いでいた一億年前から、炭鉱まちとして栄えた現代まで、一億年時間旅行が気軽にできる場所。それが三笠ジオパークです。
三笠ジオパークでは、世界的にも有名なアンモナイトをはじめとする一億年前の生命の進化、石炭という大地の遺産の恩恵を活用しながら暮らしてきた炭鉱まち特有の文化を感じることができます。
三笠ジオパークには、多数の見どころとなるジオサイトを指定し、いくつか関連するジオサイトの集まりをエリアとして区分しています。「桂沢エリア」「野外博物館エリア」「幾春別・奔別エリア」「三笠エリア」「幌内エリア」「達布山エリア」の6つのエリアがあります。また、地域の特徴は、市役所、道の駅、三笠市立博物館、三笠鉄道記念館等の拠点施設にあるパンフレット等で深く知ることができます。
昭和32(1957)年に完成した北海道で最初の多目的ダムです。周辺には豊かな自然環境が残されており、紅葉などの季節折々の景観を楽しむことができます。
ダム周辺は、約1億年前の海の底に積もった地層からなり、堤体部はしっかりとした地盤の上に建てる必要があるため、地層が硬くて頑丈な場所にダムが建設されました。
桂沢ダムの堤体部分等で使用された、コンクリート用骨材を切り出した場所です。
桂沢ダム原石山では、約1億年前の浅い海の地層を観察することが出来ます。地層の走る方向(走向)に対して直角方向に切り出されているため、地層の堆積過程の様子を観察することができ、当時の海の環境を知ることが出来ます。また、アンモナイトやイノセラムス(二枚貝)など1億年前に生きていた太古の絶滅生物の化石が産出します。
※個人での立ち入りはできません。
旧幾春別炭鉱の立坑櫓です。幾春別炭鉱では、明治19(1886)年から昭和32(1957)年までの間で累計約650万トンの石炭が採掘されました。この立坑櫓は、大正9(1920)年頃に完成したとされ、現存する立坑櫓では道内で最も古いものです。
立坑櫓には、北海道炭鉱鉄道会社(北炭)の社章を見ることができます。一説では、このマークは、北海道開拓使(北方開拓のため置かれた官庁)から払い下げを受けた北炭が、開拓使の旗の赤い星と幌内鉄道をイメージした青い円を描いたものと言われています。
石炭は、主に河川周辺の湿地に生息していた植物が地層中に埋没して、長い時間をかけて高い温度と圧力によって変質した燃える岩石です。三笠周辺地域では、約5,000万年前の川底に積もった地層から石炭が産出します。石炭は、発熱量などの違いから無煙炭、瀝青炭、亜瀝青炭、褐炭などに区分され、三笠の石炭は主に瀝青炭と亜瀝青炭に分類されます。
石炭は近代日本の産業を支える重要なエネルギー源で、「黒いダイヤ」「黒の宝石」などと呼ばれていました。
この付近の地層はほぼ垂直に立っています。地層は主に川や海など水の中で砂や泥が積もって形成されますが、その時はほぼ水平です。しかし、大地は少しずつ動いており、その動きによって長い年月をかけて垂直になるまで地層が押し曲げられました。
このように、長い年月をかけて少しずつ押されると硬い岩石も押し曲げることができます。日本は地震が多いことからもわかるように、大地が活発に動く地域(変動帯)として世界的に知られています。
旧奔別炭鉱では、明治33(1900)年から昭和46(1971)年までの間、累計で約2,650万トンの石炭が採掘されました。この立坑は、櫓の高さが約51m、深さ約735m、内径が6.4mあり、当時は東洋一の立坑として呼ばれていました。
一つの立坑で鉱員、資材、石炭などを巻き上げることができるスキップ・ケージ巻上げ方式と呼ばれる国内初のシステムを採用し、当時の技術の粋を集めた施設としてもしられています。
※私有地であるため、敷地外からの外観見学のみとなります。
明治21(1888)年10月にできた人工の滝です。この滝は石炭を運ぶ鉄道や住宅地を造るため、幾春別市街地を蛇行していた幾春別川(アイヌ語でイクシウンペット:遥かかなたの川)の流路を切り替えた際にできたものです。工事中の豪雨により、計らずも一夜にしてできた滝です。
この滝ができた頃、人々はこの滝を「幾春別滝」と呼んでいましたが、滝つぼに魚の群れが見えた事からいつしか「魚染めの滝」と呼ばれるようになりました。滝の周辺は、約4,000万年前の海底に泥がつもった地層から出来ています。
明治15(1882)年から明治34(1901)年まであった空知集治監(現在の刑務所にあたる)は、進路の開拓や石炭の採炭などを行うため設置されました。
空知集治監の典獄(刑務所長)官舎跡には、レンガでできた煙突部分のみが残っています。
音羽坑は、明治12(1879)年に開鉱した北海道最初の大規模近代炭鉱の旧幌内炭鉱の坑口です。最盛時には年間約140万トンを超える石炭が採掘され、平成元(1989)年までの110年間で累計5500万トンもの石炭が採掘されました。
この音羽坑は、明治13(1880)年に掘削が開始され、近代炭鉱では道内最古の坑口として知られています。
周辺には、2つの坑口がある常磐坑もあります。
※左 音羽坑、右 常磐坑
達布山は、アイヌ語の「タプ・コプ(頂上の丸い峰を意味)」を語源とする標高約144mの小高い山です。
達布山からは石狩平野を一望できることから、榎本武揚や山県有朋などの明治の要人達がこの地を訪れ、頂上から幌内鉄道の敷設などの開拓計画を立てたと言われています。
達布山の地質は、約800万年前の海の底に珪藻が大量に降り積もって形成されたと考えられる硬い地層からできています。周囲の地層に比べて硬いことから、差別浸食によって小高い山になったと考えられます。
ジオパーク名:三笠ジオパーク
ジオパーク名(英語表記):Mikasa Geopark
団体名:三笠ジオパーク推進協議会
構成自治体名:北海道三笠市
■三笠ジオパーク推進協議会
〒068-2192 北海道三笠市幸町2番地 三笠市役所 商工観光課内
TEL 01267-2-3997 FAX 01267-2-7880