北海道のまんなか。雄大な十勝岳連峰、どこまでもつづく丘、のどかな田園風景。こんな静かな景観を作ったのは、荒々しい火山噴火でした。
十勝岳ジオパークのテーマは「丘と火山がおりなす彩り」。300万年間つづいた火山活動が十勝岳連峰を作りました。今なお火山活動を繰り返す十勝岳には溶岩流・火砕流・泥流など噴火の痕跡が多くのこされ、地球が生きていることを実感できます。
大規模火砕流が何度も発生したことで、美瑛から富良野の大地は火山灰や軽石によって埋めつくされました。何度も繰り返す気候変化、森林の生命力、そして、130年ほど前からはじまった開拓民による農耕によって、現在の「丘」の景観がつくられました。波状丘陵の形成と苦労して実りの丘を作った農業の営みを目の当たりにできます。
1926年に発生した十勝岳噴火に伴う融雪型火山泥流は、144名もの犠牲者を出し、多くの農地を埋め尽くしました。小説家の三浦綾子は多くの被災者に取材し、4人の若者を主人公とした小説『泥流地帯』を執筆。当時の農家の生活と火山災害、そして復興までの様子を生き生きと描きました。十勝岳ジオパークでは、小説のストーリーとともに地域の歴史を伝えていきます。
約500年前の十勝岳(中央火口丘)の火山活動で噴出した、最も新しい溶岩です。溶岩の断面を上から下まで観察できるので、溶岩がつくった岩石や、流れた時の様子が理解できます。この地点では、のっぺりとした分厚くて固い岩と、その表面にゴツゴツした破片状の岩石がみえます。このようなタイプの溶岩は、「アア溶岩」と呼ばれます。
約3300年前に十勝岳グラウンド火口で噴火した際の火砕流堆積物が観察できます。この火砕流堆積物は2つの層に分かれていて、立て続けに2回の噴火があったことがわかります。この火砕流は白金温泉まで流下しており、十勝岳における過去1万年間の火山活動で最大の火砕流だったと考えられます。
1926年5月24日におきた十勝岳の噴火は、噴火口付近に積もっていた雪をとかし、爆発後30〜50分で上富良野市街まで泥流が流れ下りました(大正泥流)。この地点では、上富良野開拓以来の30年間(1897~1926年)で作られた農地の土(黒土)、1926年5月24日の大正泥流の地層(砂利を含んだ地層)、泥流災害後に農地復興のために入れられた土の層(客土)、の重なりを観察できます。
十勝岳ジオパークでみられる「丘」は、まさに北海道らしい景色です。この丘のもとになっているのは、約300万年前から100万年前にあいついで噴出した火砕流の堆積物です。さらに、「なだらかな」斜面が作られたのは、北海道ならではの寒冷な気候が関係しています。北海道の大地は、地面が凍ったりとけたりを繰り返しています。その過程で岩石が少しずつ細かくなり、地形がなだらかになるのです。とくに、過去260万年の間には、「氷期」と呼ばれる今より寒い時代が何度も来ているので、現在よりもはげしく土砂が動いていたと考えられます。
美瑛町の市街地から白金温泉へむかう道路は、みちぞいにシラカンバ(白樺)やダケカンバの林がつづくことから「白樺街道」とよばれています。美瑛川にそうこの道は、1926年の十勝岳噴火によって泥流(大正泥流)が流れた場所です。この災害によって、一度は植生が失われてしまいました。シラカンバは、「先駆植物」ともよばれ、このような荒れた土地でも真っ先に芽を出し、成長します。泥流により流れ下ってきた巨石をおおうように成長した大木も観察できます。
小松原原生林は、北海道中央部での典型的な森です。ここでは針葉樹(トドマツ、エゾマツ、アカエゾマツ)と広葉樹(ドロノキ、シラカンバ、ダケカンバ、ミズナラ)がまじりあっています。また、エゾシカ、ヒグマ、エゾリス、ナキウサギなどの野生動物のすみかでもあります。標高710m付近には、グラウンド火口溶岩の流れた跡があり、その表面は周囲と異なる植物が生えており、コケ類も茂っています。岩のすき間にはナキウサギが住んでいます。
美瑛駅の外壁は、「美瑛軟石」とよばれる石材です。美瑛軟石は、200万年前ころに噴出した火砕流堆積物です。もともとの火砕流堆積物は、軽石や火山灰などのやわらかい物質でできていますが、冷えて固まった時に、堆積物自体の重さで押し固められて、岩石(溶結凝灰岩)になりました。見た目が美しく、やわらかくて加工しやすい石材なので、北海道のあちこちで使われています。現在では新たな切りだしは行われていませんが、古い建物に使われていた石材を再利用することで、美瑛軟石を生かしたまちづくりが行われています。
旧「白銀荘」は、物理学者・中谷宇吉郎博士が、雪の結晶の研究のために1933(昭和8)年12月からたびたび訪れた場所です。雪の結晶を詳しく観察すれば、上空の気象条件を知る手がかりになります。中谷博士は、標高約1000メートル、冬の気温マイナス10~15℃というこの場所に注目します。白銀荘で様々な雪を観察した中谷博士は、2年後の1936年3月12日、札幌の研究所で世界で初めて人工雪を作ることに成功しました。「雪の結晶は、天から送られた手紙である」という言葉とともに、中谷博士のとりくみは岩波文庫『雪』にくわしく書かれています。
「青い池」は、美瑛川の泥流災害を防ぐためにコンクリート製の
富良野盆地の開拓の端緒となった草分地区にあり、また、大正泥流の被災地でもあります。広場内には、上富良野開拓記念館、草分神社、『泥流地帯』文学碑があります。上富良野開拓記念館は、1926年大正泥流発生当時の村長・吉田貞次郎の住宅を解体復元したもので、泥流の被害を受けながらも残存した貴重な建築物です。屋外には、上富良野町泉町の工事現場でみつかった大正泥流による流木を展示しています。草分神社前には、作家の三浦綾子さんの小説『泥流地帯』を記念して、1984(昭和59)年に文学碑がつくられました。
ジオパーク名:十勝岳ジオパーク
ジオパーク名(英語表記):Tokachidake Geopark
団体名:十勝岳ジオパーク推進協議会
構成自治体名:北海道上川郡美瑛町・北海道空知郡上富良野町
■十勝岳ジオパーク推進協議会
〒071-0292 北海道上川郡美瑛町本町4-6-1 美瑛町役場3F
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