石に残された旅の記憶
ヒトの歴史や文化もまた、気候変動の影響を大きく受けてきました。人類は、寒冷な時代には乾燥化もあいまって植物の栽培や動物の家畜化が難しく、食料を採取しながら動物たちを追って移動を繰り返す、狩猟採集の旅をしていました。
日本人の祖先はこのような旅の果てに、対馬・沖縄・北海道の3つのルートから日本列島に渡って来たと考えられています。
こうした過去の人類の旅を伝えてくれる岩石として、黒曜石が知られています。火山岩の一種で天然のガラスと呼ばれる黒曜石は、割っただけで鋭い刃物となるため、金属器が普及するまで、人類の暮らしに欠かせないものでした。
遺跡から出土した黒曜石の石器の分析からは、北海道の白滝を産地とする黒曜石が、人の手によって500km以上も離れた場所まで運ばれていたことがわかっています。
列島が育んだ文化
多様な日本列島の地形や島々は、豊かな食文化を生み出しました。例えば、和食の基本となる出汁は、北海道の昆布が大阪や京都にもたらされたことで、その基礎ができたといわれています。その昆布の輸送を担ったのが、江戸時代の中頃から明治30年代にかけて北海道と日本各地を結んだ、北前船です。
北前船は、米や酒、塩や海産物だけでなく、木綿や古着などの衣料品や陶磁器・漆器などの生活用具、タバコなどの嗜好品、そして民謡などの芸能も各地に伝えていきました。
北海道の昆布がもたらしたのは和食の出汁文化だけではありません。昆布は沖縄の家庭料理に欠かせない食材の1つですが、その背景には幕末の動乱が関係しています。
江戸時代、莫大な借金に苦しんでいた薩摩藩は、北前船の航路に目をつけました。薩摩藩が昆布を主軸とした貿易を中国と行い、その中継地点となっていた沖縄に大量の昆布がもたらされたことで、昆布は沖縄の家庭料理に欠かせない食材となりました。
自然災害を乗り越えて
4つのプレートが衝突し、さらにプレートが沈み込むことで形成された日本列島では、地震や津波、そして火山噴火という自然災害と常に隣り合わせです。
過去1万年の日本の火山史の中で最大規模の噴火といわれているのが、今から6,300年前の縄文時代に起きた、鹿児島県の鬼界カルデラの大噴火です。直径20kmもの噴火口をもち、1992年の雲仙普賢岳の噴火のおよそ100倍と推定される噴火が起きたことで、南九州の縄文人は壊滅的な打撃を受けたことが、遺跡の発掘調査により判明しています。
火山の噴火は、火山灰や噴石の降下、火砕流の噴出などによる直接的な影響だけでなく、その後の気候と私たちの暮らしにも大きな影響を及ぼします。
1783(天明3)年、群馬県の浅間山で起きた大噴火では、火砕流の発生や岩屑なだれ、その後の天然ダム決壊による泥流の発生により、1,600人以上の犠牲者を出したことが記録されています。
さらに、火山噴火の影響は低温化や冷害を招き、関東や東北地方で始まっていた飢饉を悪化させ、天明の大飢饉へとつながっていきました。
一方、2000年に発生した北海道の有珠山の噴火では、過去の噴火の記録や定期的な火山観測、そして地域住民の息の長い防災教育により、噴火前に事前避難が完了したことで1人の死傷者も出しませんでした。
日本列島には、多様な大地の特徴(地質多様性)があるからこそ、その上で暮らす多様な生き物(生物多様性)と人々の多様な暮らし(文化多様性)があります。
地域から地球を探ることができるジオパーク。
あなたもそんなジオパークに、旅に出てみませんか?